日本語には、50音表に分類整理されるように、9種類の子音に対応する9組の清音があるほか、4組20個(gè)の濁音がある!袱剐、「ざ」行、「だ」行、「ば」行の音である。唇音 の「ば」行が今日口蓋 音として分類されている「は」行の濁音とされるのには、「は」行がかつては唇音であったという歴史的な事情がある。このほか「は」行の半濁音として、「ぱ」行があり、また今日東京言葉に殘っている「が」の鼻音ngaが、やはり半濁音として分類されることもある。
日語中,正如50音圖分類整理出來的那樣,除了9種子音對應(yīng)的9組清音以外,還有4組共20個(gè)濁音。它們就是「が」行、「ざ」行、「だ」行、「ば」行的音。唇音「ば」行是被分類為現(xiàn)在上顎音的「は」行的濁音,「は」行在歷史上曾經(jīng)是唇音。此外「ぱ」行是「は」行的半濁音,而現(xiàn)在東京話中遺留下來的「が」的鼻音nga依舊歸類于半濁音。
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清濁の區(qū)別はヨーロッパ言語にも見られる。たとえば英語では、p-b, t-d, f-v, k-g がそれぞれ清濁の対をなし、thの音にも清濁の區(qū)別がある。一方中國語には、清音、濁音という概念はなく、そのかわり、無気音、有気音の區(qū)別がある。P-b, d-t, z-c, g-k, といった対立軸で表される音である。
從歐洲語言中也可以看出清濁音的區(qū)別。例如在英語中,p-b, t-d, f-v, k-g分別形成濁音對兒,th的音也有清濁之分。而在漢語中,雖然沒有清音、濁音的概念,但是有不送氣音和送氣音之分,是用P-b, d-t, z-c, g-k,這樣的對稱軸表示的音。
日本語における濁音は太古の昔から存在し、その表記も萬葉仮名などにおいては、清音と區(qū)別していた。しかし、後世になって、清濁同じかなで表現(xiàn)するようになった。日本語においては、清音と濁音の區(qū)別は、ほかの民族の言語ほどに意識化されていなかったからかもしれない。今日では、清音に「“」という符號を付すことによって差別化 しているが、これも、濁音が清音から派生的した従屬的な音であるとの、伝統(tǒng)的な意識に出たものだと、いえなくはない。
日語中的濁音自太古時(shí)期就存在了,這個(gè)表記也在萬葉假名等中與清音區(qū)分開來。但是到了后世,開始用相同的假名來表現(xiàn)清濁音?赡苓@是因?yàn)槿照Z中清音和濁音的區(qū)別沒有像其它民族語言一樣被意識化,F(xiàn)在,通過在清音上加「“」這個(gè)符號來進(jìn)行區(qū)分,可以說這也是在濁音是從清音中派生出來的從屬音的這種傳統(tǒng)的意識中產(chǎn)生的。
濁音の用い方については、古來一定の法則があった。
關(guān)于濁音的使用方法,自古以來就有一定的法則。
まず、濁音が語頭音として用いられることはなかった。今日では、たとえば、ここでとりあげている「濁音」という言葉のように、語の先頭に濁音があることは珍しくないが、太古にあっては決して語の先頭には用いられなかったのである。それが用いられるようになるのは、漢語の受容以降のことである。
首先,濁音不能作為詞頭音來使用,F(xiàn)在,例如像「濁音」(だくおん)這個(gè)詞一樣,濁音在詞語的開頭是并不少見的,但是在太古時(shí)期,是絕對不能用在詞語開頭的。開始那樣使用是漢語傳入以后的事兒了。
上述のように、漢語には無気音はあっても濁音はないが、日本人の耳には、無気音が濁音のように聞こえたので、無気音を濁音で表現(xiàn)した。漢語文化とりわけ仏教が民衆(zhòng)の間に浸透するとともに、仏教用語も広まるようになり、語頭に濁音を持つ言葉が違和感なく使われるに至ったと思われる。
像上述所說的,漢語中有不送氣音,沒有濁音,但對日本人來說,不送氣音聽起來就像濁音一樣,所以把不送氣音用濁音來表示。隨著漢語文化,特別是佛教在民間滲透的同時(shí),佛教用語也廣為流傳,使用詞頭帶濁音的詞語也變得沒有違和感了。
つぎに、日本語には連濁という現(xiàn)象がある!钙迒 (ツマドヒ)」、「草葉 (クサバ)」、「しらじら 」のように、ふたつの言葉をつなぐと、あとの言葉の最初の音が濁るという現(xiàn)象である。この現(xiàn)象はハングルにおいても見られる。たとえば金大中という人物の名において、これを個(gè)々に分解すれば、キム、テ、チュンであるが、一つにつながることによって、キム・デジュンとなる。同様にして、金正日はキム・チョンイルではなくキム・ジョンイルとなる。(面白いことに、ヨーロッパ言語には、これと反対の現(xiàn)象が見られる。ドイツ語やロシア語において、濁音の子音が語尾にくると、清音になるというものであり、たとえばドイツ語において、abendのdはtと発音される類である。)
其次,日語中有連濁的現(xiàn)象。像「妻問(ツマドヒ)」、「草葉(クサバ)」、「しらじら」這些詞一樣,兩個(gè)詞語相連時(shí),后一個(gè)詞的開頭音會發(fā)生濁化現(xiàn)象。這個(gè)現(xiàn)象在朝鮮文字中也可以看出。例如金大中這個(gè)人名,如果逐字分解的話,就是キム、テ、チュン。連成一體就變成了キム・デジュン。同樣,金正日這個(gè)人名不讀作キム・チョンイル,而是讀作キム・ジョンイル。(有趣的是,在歐洲語言中,出現(xiàn)了相反的現(xiàn)象。德語和俄語中,濁音的子音位于詞尾的時(shí)候,就會清音化,例如德語“abend”的d要發(fā)成t音。)
西洋語が日本に入ってくると、濁音の使われ方はいっそう多彩なものになった。オノマトペなどは、幼い子供が好んで使うことからもわかるとおり、太古の日本語の面影を色濃く殘しているものなのだが、これにも、ドンドン、ギャーギャー、ビュービューといった具合に、濁音がおしみなく使われるようになった。
歐洲語言一進(jìn)入到日本,濁音的使用方法變得更加豐富多彩。象聲詞等是小孩子們喜歡使用的詞語,雖然濃厚地殘留著太古時(shí)期的日語痕跡,但在ドンドン、ギャーギャー、ビュービュー等詞中,濁音變得更加常用。