「青空(あおぞら)の下、私は芝生(しばふ)の上に橫たわり、爽(さわ)やかな気分(きぶん)で、真っ白な雲(yún)が流(なが)れる様を見(jiàn)つめていた」
我躺在藍(lán)天下的草坪上,心情舒爽地看著流動(dòng)的白云。
というふうに「青空の下」という表現(xiàn)はしばしば見(jiàn)かけますよね。
像例句這樣,經(jīng)?梢砸(jiàn)到「青空の下」這樣的表達(dá)吧。
では、この場(chǎng)合の「青空の下」の「下」は「した」と読むのが正しいのでしょうか、それとも「もと」が正しいのでしょうか?
那么,這種情況下,「青空の下」的「下」正確的讀法到底是「した」還是「もと」呢?
結(jié)論が言いますと「した」は誤りで「もと」と読むのが正しいのです。
結(jié)論就是,「した」是錯(cuò)誤的讀法,「もと」才是正確的。
正解が「もと」だと知っていても、その理由を説明できる人は少ないのではないでしょうか。
就算知道正確讀法是「もと」,但是能說(shuō)明理由的人也很少吧。
ある基準(zhǔn)があって、それより「上」が存在し、その対としての「下」を指す場(chǎng)合は「下」を「した」と読みます。
有某個(gè)基準(zhǔn),比這個(gè)基準(zhǔn)有更“上”的存在,與此相對(duì)的指“下”的情況讀作「した」。
一方、上に広がるものに隠れる範(fàn)囲、あるいは、影響を受ける範(fàn)囲を指す場(chǎng)合に、「下」を「もと」と読むのです。この時(shí)、対になる「上」には明確な範(fàn)囲が定まっていないことに注目。
另外一方面,指被隱藏在上方擴(kuò)展的東西的范圍,或者說(shuō)被影響到的范圍的情況,「下」多讀為「もと」。此時(shí),要注意與此相對(duì)的「上」是沒(méi)有有明確范圍的。
「青空の下」の「青空」は「どこまでも続いている大空」を指しているため、もちろん、明確な範(fàn)囲はありません。
「青空の下」的「青空」指的是“無(wú)邊無(wú)際的天空”,因此自然沒(méi)有明確的范圍。
また、青空の「下」にいる人は、その影響を受けて「爽やかな気分」になるのです。
此外,在藍(lán)天之下的人受它影響有“舒爽的心情”。
つまり「青空の下」の「下」には基準(zhǔn)點(diǎn)がない(下の対となる上が存在しない)ために「した」とは読まず、その影響を受ける範(fàn)囲という意味で「もと」と読む。
總之,「青空の下」的「下」沒(méi)有基準(zhǔn)(不存在與“下”相對(duì)的“上”),因此不讀作「した」。因?yàn)樵谑苡绊懙姆秶鷥?nèi)所以讀作「もと」。
その他に「下」を「もと」と読む例は、以下のとおりです。
在此之外還有以下「下」讀作「もと」的例子。
「ろうそくの火の下(もと)で読む」
「白日の下(もと)にさらされる」
「法の下(もと)の平等」