質(zhì)問
提問
明治や大正時代の文章には、助詞や送り仮名をカタカナで書いたものと平仮名で書いたものがあります。なぜですか?
明治和大正時代的文章中,助詞和漢字后面的標(biāo)注假名有用片假名和平假名書寫的兩種情況,這是為什么呢?
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こたえ
回答
カタカナは、平安時代に漢文訓(xùn)読の補(bǔ)助符號として成立したものであるといわれています。そのため、學(xué)問の場で使われる文字と認(rèn)識されてきました。このことは、幕末から明治・大正時代に至っても維持されました。
在平安時代,片假名作為漢文訓(xùn)讀的輔助符號而成立,因此被認(rèn)為是學(xué)問上使用的文字。這種情況從幕府末期一直持續(xù)到明治•大正時代。
幕末・明治期の知識層が一般的に用いる書きことばは、漢文や漢文直訳體でしたが、これらは漢字とカタカナ(漢文では本文の読み仮名・送り仮名としてカタカナが振られました)とで書かれました。學(xué)問的な文章や公的な文書は、「漢字カタカナ交じり文」で書かれていたのです。また、カタカナは、學(xué)問の講義の場でも用いられました。江戸時代後期には、すでに、漢文の注釈・解説を「漢字カタカナ交じり文」で付したテキストや、師匠の講釈を「漢字カタカナ交じり文」で寫したテキストが用いられていました。この流れを承けて、幕末・明治初期の論説的文章、學(xué)問的教科書、翻訳書や啓蒙書が、「漢字カタカナ交じり文」で書かれることになりました。また、論説的・啓蒙的な書籍が、対象とする読者層を広げてゆくと、硬い文章だけでなく、口語的要素の強(qiáng)い文語文(軟文型文語文)や言文一致文などの軟らかい文章にも「漢字カタカナ交じり文」が見られるようになります。
幕府末期•明治時期的知識階層一般使用的而書寫語言是:漢文和漢文直譯體,這些都是由漢字和片假名(漢文中作為注音假名和漢字后面的標(biāo)注假名而使用的片假名)寫成的。學(xué)問性的文章和公文都是用“漢字片假名摻雜”寫成的。另外,片假名也在學(xué)校課堂上被使用。在江戶時代后期,已經(jīng)開始用“漢字片假名摻雜”來標(biāo)注漢文注釋的文本,或者謄抄教師的講義。繼承了這個習(xí)慣后,幕府末期•明治初期的論說性文章、學(xué)問性文章、翻譯書和啟蒙書籍都用“漢字片假名摻雜”形式書寫。另外,論說性文章•啟蒙性書籍的閱讀對象增加后,不僅是生硬的文章,就連口語要素強(qiáng)烈的文言文和言文一致文等通俗文章中也能看到“漢字片假名摻雜”的現(xiàn)象。
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一方、和文(平安期の物語・日記文に倣った文章)の他、言文一致文や軟文型文語文などの平易であることを目指した軟らかい文章、問答文や戯作など庶民のことば(俗語)を含むものでは、「漢字平仮名交じり文」が用いられました。また、小説や物語の文章でも、「漢字平仮名交じり文」が多かったとされています(和文の伝統(tǒng)に従ったものと思われます)。
另一方面,除了和文(效仿平安時期的物語•日記文的文章),言文一致文和軟文型文言文中追求通俗易懂的文章、問答文和戲作等百姓語言(俗語)里都使用“漢字平假名摻雜文”。另外,在小說和故事性的文章中,這種情況也很多。(被認(rèn)為是遵循和文的傳統(tǒng))
明治初期には、硬い文章が「漢字カタカナ交じり文」、軟らかい文章が「漢字平仮名交じり文」というおおまかな使い分けがあったといえますが、「漢字カタカナ交じり文」の勢力はかなり軟らかい文章にも及んでいました。ただ、「漢字カタカナ交じり文」は、あくまでも學(xué)問の場での文章をもとにしたものでした。そのため、庶民が常用する文章や児童が學(xué)校で教授される文章の表記としては、「漢字平仮名交じり文」の方がより平易であり望ましいという主張が(明治10年代以降)多くなされるようになりました。その結(jié)果、「漢字カタカナ交じり文」は減少してゆくことになります。しかし、論説文や公文書の中では、後々まで生き殘ってゆくのです。
明治初期,生硬的文章是“漢字片假名摻雜文”,通俗文章是“漢字平假名摻雜文”,大致分為這兩類。但是,前者的勢力卻很大地涉及到了后者。只是,“漢字片假名摻雜文”始終是以學(xué)問性文章為基礎(chǔ)。所以,老百姓常用的文章和兒童在學(xué)校學(xué)習(xí)的文章,用“漢字平假名摻雜文”標(biāo)記更易懂、更理想。這樣的主張(在明治10年代以后)逐漸成為主流,結(jié)果造成“漢字片假名摻雜文”逐漸減少。但是在論說文和公文中依然持續(xù)了很久。