形容山河壯美可以說「素晴らしい」,形容一個人干得漂亮也可以說「素晴らしい」,等等這種表達(dá)都是非常正面的、“好”的。但是在過去「素晴らしい」絲毫沒有這樣的含義,到底是怎么一回事呢?接下來一起了解一下吧。
素晴らしいは、現(xiàn)代では非常に好ましいさまに用いられるが、近世江戸には「ひどい」「とんでもない」といった意味で、望ましくない意味を示す語だった。
現(xiàn)在「素晴らしい」用于表達(dá)非常好的樣子,但是在江戶時期,他表達(dá)的是“過分”“不敢相信”的含義,并不是人所期望發(fā)生的事情。
「狹くなる」「縮まる」という意味の動詞「窄る(すばる)」が形容詞化され、「すばらしい(すばらし)」になったと考えられる。
一般認(rèn)為「素晴らしい」是表達(dá)“狹窄”“緊縮”的動詞「窄る(すばる)」形容詞化的詞語。
「すばる」は「すぼる」とも用いられ、形容詞化された「すぼらし」は「細(xì)く貧弱である」という意味で、「みすぼらしい」の語源となっている。
「すばる」也用作「すぼる」,形容詞化的「すぼらし」是“瘦小貧弱”的意思,是「みすぼらしい」(寒磣的)的語源。
やがて、「すばらしい(すばらし)」は接頭語「す」と「晴らし」の語構(gòu)成と誤解され、現(xiàn)在使われるような好ましい意味に転じた。
之后「すばらしい(すばらし)」被誤認(rèn)為是接頭語「す」和「晴らし」所構(gòu)成的詞語,漸漸轉(zhuǎn)化為現(xiàn)在所使用的“好”的意義。